恋愛論

ドラマと現実の恋愛は違う!「愛の不時着」を例に、ドラマと現実をごっちゃにする危険性を説明する

今、話題の「愛の不時着」を見た。

韓国の恋愛ドラマだ。
Netflixで見れる。

「愛の不時着」面白かった!
非常に面白かった!

だが同時に、ドラマと現実は違うことも再確認した。
ドラマと現実をごっちゃにしてしまうと問題がある。

ということで、この記事では「愛の不時着」を例に、ドラマと現実の恋愛の違いについて説明しよう。

「愛の不時着」は面白い

先に言っておくが、「愛の不時着」は面白い。
恋愛ドラマとしては、非常に面白い。

だが「愛の不時着」に限らず、恋愛のドラマや映画などはあくまでフィクションとして見るべきだ。
現実には起こりえないからこそ、面白いのだ。

別に「愛の不時着」を批判したいわけではないことを、あらかじめ伝えておく。

ドラマと現実の恋愛はぜんぜん違う

続いて、「愛の不時着」が現実の恋愛とは異なる点を、具体例を3つあげて説明しよう。

運命の人はいない

「愛の不時着」は、韓国の財閥令嬢であるユン・セリがパラグライダーで北朝鮮に不時着してしまう。
そこで、北朝鮮の軍人リ・ジョンヒョクに出会い、恋に落ちる話だ。

だが物語が進むにつれて、ユン・セリとリ・ジョンヒョクは、以前にもスイスで出会っていたことがわかる。
しかも、偶然にもリ・ジョンヒョクはユン・セリの命を救っていた、運命の人だったのだ。

…まぁドラマの中の話である。
現実にそんなできた話はないし、運命の人なんていない。

合コンで会って、付き合って、彼女に結婚を迫られて結婚するようなことが、現実だ。
現実は極めて現実的なのだ。

好きな人のために命なんか賭けない

「愛の不時着」で、ユン・セリは何度となく命を狙われる。

そのたびに、リ・ジョンヒョクがユン・セリを守り、時には撃たれたりする。
最後は、逆にユン・セリがリ・ジョンヒョクを守り、撃たれてしまう。

好きな人のために命を賭ける。
全く泣ける話である。

だが、現実では好きな人のために命なんか賭けない。
そもそも命を賭けるようなことが起こらないし、仮にそんな危険がある人とはだれも付き合わないだろう。

現実の「好き」はそんな情熱的なものではなく、なんとなく付き合い、最初は楽しいけどだんだんマンネリ化してきて、イヤなことがあれば別れるのが大半だ。
結婚を親に反対されたぐらいで別れてしまう、そんなもんである。

たまにしか会えないのは、幸せではない

「愛の不時着」で、ユン・セリとリ・ジョンヒョクは最終的にはスイスで年に2週間過ごせるようになり、一応ハッピーエンドで終わる。
ドラマを見ているオレは、「よかった!本当によかった!」とうれしい気持ちになった。

だが、これが現実だったらどうだろうか?

好きな人と年に2週間しか会えないのだ。
いやそれ、普通にイヤじゃない?

たまにしか会えない人とは別れ、もっと会える人を探して、あっけなく見つかってしまうのが現実である。
結構サバサバしているのもまた現実だ。

現実にはロマンがないからこそ面白い!

以上のように、現実の恋愛はロマンがない。
運命なんてなければ、好きな人のために命をかけることも、どんなに好きでもたまにしか会えない関係では続かない。

だが現実は、ロマンがないからこそ面白い!

合コンで出会い、結婚し、子どもを産み、いい年になってふと思うのだ。
「たかが合コンで、まさか自分の人生がここまで変わるとは!」ってね。

現実には運命もロマンもないからこそ、ささいなことがどう転ぶかわからない。
それはそれで、筋書きがないドラマだ。

大したことは起こらないからこそ、大したことが起こるのだ。
現実には普通は何もないからこそ、何か起きたときに恋愛ドラマ以上にドラマチックに感じられるのだ。

オレの恋愛にも結婚にも、ドラマチックなことはなかった。
だがだからこそ面白かったのだと、今にして思う。

現実はあくまで現実でドラマではない。
決して、現実とドラマをごっちゃにしてはいけない。

でもだからこそ、現実はときにドラマ以上にドラマチックで面白いとオレは思うのだが、あなたはどうだろうか。

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